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ホーム御予約商品★日本のジャズ・レジェンドが奏でる、全曲新録! VA / Song for my mother~思慕
商品詳細
男が最後に想うことは、母の面影 ─
日本のジャズ・レジェンドが奏でる、全曲新録、ソロ・プレイ(稲垣次郎・大野俊三を除く)による母へのオマージュ

1. ベージュの帽子(Her Beige Hat):増尾好秋(Gt.)
2. Obi(帯):佐藤允彦 (Pf.)
3. 故郷の人々(スワニー川)山下洋輔 (Pf.)
4. Woman from hot country(火の国の女):豊住芳三郎 (Dr.)
5. You Don‘t Know What Love Is :稲垣次郎 (T.sax.) 塩崎容正 (Pf.)
6. 母へ :坂田明 (A.sax.)
7. 母さんの歌:大野俊三 (Tp.)/Sasha (V.)

★7人のジャズジャイアンツ 合計年齢550歳!
★12Pブックレット付 (各アーティストの「母親の想い出」掲載)
★特別寄稿エッセイ(ブックレット掲載): 西舘好子 / 淺井愼平

御予約商品
CD

2022年5月22日発売予定


★日本のジャズ・レジェンドが奏でる、全曲新録! VA / Song for my mother~思慕[RPES 4867]

販売価格: 2,630円(税込)
数量:
商品情報
ミュージシャン・プロフィール
●増尾好秋(Gt.)
ジャズピアニストの父を持ち、幼少の頃より音楽に親しむ。早大モダンジャズ研究会在籍中に渡辺貞夫グループの正式メンバーに抜擢されてプロ入り。一躍スター的人気を博す。1971年にニューヨークへ渡り、モダンジャズの巨匠ソニー・ロリンズのバンドに通算6年間在籍するほか、リー・コニッツ、エルビン・ジョーンズなど数々のビッグアーティストと共演し「世界のマスオ」として活躍。70年代後半から、初めて組んだ自己のバンドで次々とヒットアルバムを制作。その人気を不動のものとする。感性のままナチュラルで伸びやかに歌うギター、幅広い表現力、その音楽性は懐が深い。ジャンルを超越したそのギタースタイルは、多くの若手ジャズギタリストにも影響を与えている。

●佐藤允彦(Pf.)
1941年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、米国バークリー音楽院に留学、作・編曲を学ぶ。帰国後は数多くのアルバム制作に携わり、国際的にも高い評価を得ている。また、ベルリン、ドナウエッシンゲン、メールス、モントルーなどのジャズ・フェスティバルへも出演し、
国内に止まらない広範な活動は常に注目を集めている。1981年から2020年までミュージックカレッジ・メーザーハウスの音楽理論、作・編曲、ピアノ部門主幹講師。1997年、
自己のプロデュース・レーベル〈BAJ Records〉創設。

●山下洋輔(Pf.)
1969年、山下洋輔トリオを結成、フリー・フォームのエネルギッシュな演奏でジャズ界に大きな衝撃を与える。国内外のジャズ・アーティストとはもとより、和太鼓やシンフォニー・オーケストラとの共演など活動の幅を広げる。88年、山下洋輔ニューヨーク・トリオを結成。国内のみならず世界各国で演奏活動を展開する。2000年に発表した自作協奏曲を佐渡裕の指揮により04年にイタリア・トリノで再演。06年オーネット・コールマンと、07年にはセシル・テイラーと共演。99年芸術選奨文部大臣賞、03年紫綬褒章、12年旭日小綬章を受章。国立音楽大学招聘教授。演奏活動のかたわら、多数の著書を持つエッセイストとしても知られる。

●豊住芳三郎(Dr.)
‘63年富樫雅彦に師事。‘67年ミッキーカーチス&サムライのドラマーとしてヨーロッパ・ツアーに参加。‘69年吉沢元治トリオや、高柳昌行のニュー・ディレクションに参加。‘70年、高木元輝とのデュオ作品『2 TO 10 / Saxophone Adventure』(Philips)発売(現在、超希少盤として高値がついているようだ)。‘71年AACMのメンバーとなる。ロスコー・ミッチェル、ジョセフ・ジャーマンらと共演。‘72年渡仏。アンソニー・ブラクストンのオーケストラに参加。‘75年4月帰国。同月、富樫雅彦のアルバム『スピリチュアル・ネイチャー』に参加。‘78年阿部薫とのデュオ作品『Overhang Party』(ALM)を発表。その後、現在に至るまでさまざまなCD/LPを発表。またブエノスアイレス、オークランド、シドニー、香港、レバノン、ロンドン、フィリピン、台湾、ドイツ、イタリア、ベルギー、オーストリー、ブラジル、日本で即興演奏活動を続けている。‘21年日本ジャズ音楽協会「JAZZ大賞」受賞。

●稲垣次郎(T. sax.)
1933年東京生まれ。高校時代からプロとして活躍し「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」「ジョージ川口とビッグフォー」を経て、1962年自身のグループ「稲垣次郎クインテット」を結成。翌年には「ライオルネ・ハンプトン・オーケストラ」の日本公演、日野皓正と共に「白木秀雄クインテット」に参加。1969年、日本のジャズ・ロックの草分け的グループ「稲垣次郎とソウル・メディア」を結成。現在そのサウンドは和ジャズ・レア・グルーヴとして高く再評価され、当時のアナログ盤レコードが世界中のマニアから探し求められている。1980年「前田憲男とウィンドブレイカーズ」を結成。1988年からは前田憲男、佐藤允彦、羽田健太郎の三者によるユニット「トリプルピアノ」をプロデュースする。
現在もプレーヤー、プロデューサーとして現役で活動。2021年日本ジャズ音楽協会より「JAZZ大賞」を授与される。

●坂田明(A. sax.)
1945年、広島県呉市出身、広島大学水産学科卒業。
1969年上京後「細胞分裂」を結成。1972年〜79年山下洋輔トリオに参加、以後「wha-ha-ha」「DA-DA-DA ORCHESTRA」「MITOCHONDRIA」など様々なグループの結成、解体を繰り返しながら、世界のあちこちであれこれしながら今日に至る。東京薬科大学生命科学部客員教授、広島大学大学院生物圏科学研究科客員教授。

●大野俊三(Tp.)
1974年、アート・ブレイキーの誘いでニューヨークへ渡る。数々のジャズの偉人との共演を経て、ノーマン・コナーズの“ダンス・オブ・マジック”に参加、3年間にわたり世界ツアーを行う。そこで作曲したシングルレコードはゴールド・ディスクとなった。その後、“マチート&アフロキューバンズ”の一員としてアメリカ、欧州、南米ツアーに参加。大野のソロをフィーチャーしたアルバム『マチート・アンド・ヒズ・サルサ・ビッグ・バンド』は、1984年度グラミー賞に輝いた。1983年には”ギル・エヴァンス・オーケストラ”に参加し、アルバム『バド・アンド・バード/ライブ・アット・スイート・ベイジル』で2度目のグラミー賞を受賞。1988年に交通事故に巻き込まれ、1996年には扁桃ガンを宣告されるが、不撓不屈の挑戦により、奇跡の復活を成し遂げる。‘98年の後半より、ジャズ界の巨匠ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコックとも共演し、1999年にはギタリストのラリー・コリエルのワールド・ツアーにも参加。
【お母様との想い出】
●増尾好秋さん 「ベージュの帽子」(Her Beige Hat)
お洒落な母だった。タイトルのベージュの帽子は、「亡くなったらお棺に入れて欲しい」と言っていたお気に入りの帽子。その時の事を話すと未だに涙が出てしまう。今回の曲は、父と母の想い出のクラシック曲「メリー・ウィドウ」をベースに作った。2人はこのメロディーを弾くことで、何か過去の想い出を共有し、微笑みあっていたのを思い出す。

●佐藤允彦さん 「Obi」(帯)
ピアノの道に導いてくれたのは母。戦争が終わって、世の中が荒れても、音楽をやらせておけば愚連(ぐれ)ずに済むだろうと、母がピアノを習わせた。ピアノの練習を離れたところで聞いていて、「出来た!」と言っても、「3回間違えてる」と。当時『楽聖ショパン』という映画を観て感激した母が「幻想即興曲」が弾けるようになったらピアノを辞めてもいい、と言ったので、小学校3年か4年のときには弾けるようになったが、もうその時にはピアノを辞めたいという気持ちはなく、今日まで続いてきた。母自身も音曲が好きで、小唄を習っていた。明治生まれの女性としては珍しく、簿記学校卒業。一緒に卒業した女性と二人で新聞に載ったこともある。ジョージ川口のグループに入ったのも、その同級生の縁だった。今回の曲は、温かくて懐かしく、全体的にふわっと柔らかい淡色水彩画のイメージで作った。

●山下洋輔さん 「故郷の人々(スワニー川)」
小学生の頃、「故郷の人々(スワニー川)」のメロディーを耳で覚えて、ぽつぽつと弾いていたら、「そんな曲が弾けるの。ちゃんと楽譜を見なさい。」と言われたが、僕は「いやだ」と言って、クラシック演奏家になる道はそのまま途絶えた(笑)。「今の私なら、こんなに弾けますよ」というところを天国にいる母に聴かせたい。ジャズをバリバリ入れるのは、母は聴いたことがないから。(談)

●豊住芳三郎さん 「Woman from hot country」(火の国の女) ※お母様は熊本県出身
あんなに愛されたらトロける。不良にはならない。何でも好きな事をやらせてくれた。兄弟喧嘩で一回くらい怒られたかもしれないが、怒られた事がない。プロになるのは反対だったが、一旦プロになったらすごく応援してくれて、ピットインでも野音でも見に来てくれた。自身も琴や日本舞踊をやったり、ウクレレを買ってきたこともあった。「産んでくれただけで、有り難う。」「あれだけ愛されたから、天国に聴こえるように。愛を返さないと。」という気持ち。今でも一人で頑張っている時などは「おかあちゃん」と呼びかける事がある。

●稲垣次郎さん 「You Don't Know What Love Is (作:Gene de Paul)」
実の母は3歳の時に亡くなっているので、ほとんど記憶がない。色々な親戚に預けられて、不愉快な思いを沢山してきた。その都度「おふくろはどうだったかな」と考えた。この曲は「母親が亡くなった」という意味の曲ではないが、当時の事を想い出すとこの曲が浮かぶしまたこの曲を演奏していると、当時の事が思い出される。

●坂田明さん 「母へ」
母は苦労人で教育ママ。自分も小学生の頃は、水汲み、薪割り、飯炊き風呂炊き、父の運送屋の手伝い、と二宮金次郎のようによく働いた。中学のころは牛を飼い、早朝豆腐のしぼり汁やおからでエサをやって学校に行った。金次郎と違うのは、勉強はしたが合間を縫って遊んだり、悪戯したりしていた事かな。母は取り立てて音楽好きでもないが、祖母が芝居好きで、母の兄弟はギター、アコーディオンを弾いたり、村芝居をやっているのもいたらしい。今回の演奏で長い間出来なかったおふくろの供養がやっと出来た。

●大野俊三さん 「母さんの歌」
勤勉で優しい母。自分をこの世に産んでくれた感謝を込めて今回の曲を作りました。高校生の時に一度家出をして、数日間家に帰りませんでした。何日かして最終電車で帰宅の折、人気の無い岐阜駅の改札口の向こう側に一人母が立っている姿を目にした時の心の痛みは一生忘れません。今回の「母さんの歌」を収録するにあたっては、この時の想い出が心いっぱいに広がっておりました。